よしりん先生に衝撃を与えてしまうレベルで貫禄がなかった、36歳当時の私の写真!(昨日のブログ参照)。
12年後である現在と、帽子をかぶっていない状態で比較してみました。
ヒゲやメガネはともかく、大幅な体重増加、頭髪からの卒業といった経年変化は着実に進んでいます。
はたして私に「貫禄」はついたのでしょうか…?
おそらくそれらは、単に年齢やルックスの変化にとどまらず、立ち居振る舞いや言動など「内面的な質」を含めて、第三者から判断されるものなのでしょう。
さて、人間だけでなく、社会にも「成熟に伴う貫禄」が存在するします。
日本の「戦後」は間もなく79年になりますが、「戦後民主主義」はその年月に見合った「貫禄」を身に着けているのか?
もし貫禄が無いなら、それは「まだ幼稚なまま」なのか?それとも既に「老いぼれてしまった」のか?そもそも「根本的に間違っている」のか?
そして、地域や時代を問わず見渡した時に、「憧れを抱けるような貫禄」を備えた民主主義は果たして存在するのか?
「貫禄を備えた民主主義」を獲得できるような「希望」は存在するのか?
自分自身の人生と同じで、わからない事だらけです。
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